甦る少年の日の思い出

◇夏の海岸

 小学校五年生(大正十一年)の頃の思い出を辿ってみると様々な夏の情景が蘇えってきます。夜の由比ガ浜、打ち上がる花火の音と大輪の花。夏は鎌倉が最も賑やかになる季節です。昼の海岸では宝探しの余興があったり、夜の海岸では夜店が出たりと、人通りも普段と違って格段に多くなり、子供心に町中が急に華やかになったような気がしました。町ゆく人が心なしか皆ウキウキとしているように見えたものです。夏は町中が潮の香りに包まれて、明るく華やかでした。
 海岸では、報知新聞主催の海岸博覧会もありました。天幕張りの中に四十件ほどの、お店が出て、夕涼みしながらの客で大賑わいでした。子供達の金魚すくい、浴衣の袖をまくりあげた男達がおもちゃの鉄砲を構える射的場も大変な賑わいでした。子供は射的やボットル落としが出来なくても、大人がしているのを見るだけでも何となく楽しくなってしまいました。色々な会社が新製品の宣伝用に売店を出していましたが、そこで買った森永キャラメルの美味しい味が忘れられません。ヨシズ張りの余興場や、歌舞伎の芝居小屋もありました。一座の花形役者が悪い奴をやっつけ見栄を切る、観客の大拍手、続いてそろいの浴衣を着た長谷新宿の若衆の鐘や太鼓をたたきながらの賑やかなあめや踊り。踊り手は地元の若者なので、大人気でした。映画では、松本幸四郎の歌舞伎の映画を見たこともありました。
 夜の海辺は真っ暗です。ただ一点、遠く離れた大島の灯台の灯りがピカリ、ピカリ点滅するだけ。聞こえるのは、浜辺に立てられた大提燈の脇で何妙法蓮華経の法を説く日蓮宗の若き僧侶の声だけ。それをじっと静かに聴き入る四、五十人の聴衆、月明かりが反射してほのかに光る波間が小走りで横に走っては崩れる。心地よい涼しい浜風、時の経つのも忘れます。
 一方、昼のメラメラと燃えるような炎天下の由比ガ浜海岸、芋を洗うようなといった表現ぴったりな人出、この喧噪の中でも浜辺に三角テントを張ってキリスト教を説く牧師さんがいた。今の御成小学校近くにあったメソジスト教会の牧師さんで、宗教界では有名な方だったそうだ。白いハイカラな麻の服とヘルメットの様なサファリハットの姿で、イエス・キリストの生涯や福音書の話に耳を傾けていると次第に話に引き込まれ、時の経つのも忘れてしまうようだった。懐かしい昔の海辺の思い出です。

「夢また夢の思いで草」
2014年6月20日第一刷発行 
著者 石渡弘雄
発行所 石井印刷株式会社