鎌倉をこよなく愛した詩人 吉井勇
耽美派の家人の中核として、石川啄木と「スバル」を創立した吉井勇は、幼少期を鎌倉材木座の別荘で過ごし、神奈川師範学校附属鎌倉小学校に通っていました。一九一〇年、(明治四十三年)の転地療養も含め、坂の下、長谷など、鎌倉に数回仮寓したことがあります。
最後の万葉歌人と賞賛された吉井勇の和歌(うた)には、熱く激しくあふれんばかりの思いを詠ったものが多く、独特の余韻を読む者の心に残します。吉井勇が鎌倉に住んでいた若い頃、毎日のように、由比ヶ浜の海岸を訪れ、あるときは、大海原を臨みながら、またあるときは、初夏の心地よい潮風を浴びながら、愛する人のことを想いながら和歌を作ったのかもしれません。
こよなく、鎌倉を愛した吉井勇が詠んだ四首を選んでみました。
滑川越すとき君わ天の川
白しと仰ぎ見しかな
当時の鎌倉の夜空は、本当に美しく、天の川、北斗七星、北極星ときらめく満天の星でした。古の万葉の時代のロマンを蘇らせてくれるような熱い想いを思い出させる万葉調のすばらしい和歌だと思います。
鎌倉や海の通路一面に
撫子となり、夏も近づく
私は、この和歌は私の家の横にある道(駿河屋の前の長谷大通りを渡って、矢沢商店の横尾通って海に通じる道)を通って、吉井勇が海に行く道すがら詠んだものではないかと思います。昔は稲瀬川堤のこの道が海岸に通じるメインストリートだったことや、月見草や撫子も咲いていたことを併せて考えると、吉井勇が通ったのも、この道かなと思う次第です。この通りの長谷の通りに出たところに、快々亭という、劇場があり、そこでは映画、寄席、ビリヤードも楽しめました。
夏は来ぬ相模の海の南風に
我が瞳燃ゆ吾が心燃ゆ
伊豆も見ゆ伊豆の山火も稀に見ゆ
伊豆も恋し吾妹のごと
ウィーンの古寺を訪ねて
昭和50年秋 弘 作詩
鐘堂は空高く 夕日を集め
由緒ありげな 大樹
広き中庭に鬱蒼と茂る
大聖堂は長き廊を廻らし
古きステンド グラス
夕日に映え 美し久
禮拝堂は暗く灯り一つ
光を放ちて、人影もなし
修道僧は何処に在すや
いざいできて我に
往時の夢を語り給へ
はた未来を託す燃える思ひか

「夢また夢の思いで草」
2014年6月20日第一刷発行
著者 石渡弘雄
発行所 石井印刷株式会社