建築業という仕事

 かつて目を患って長瀞で静養していた時、郵便局長が漢詩の作り方を教えてくれるのを私はずいぶん面白いものだと思って熱心に聞いた。高度な学問的知識はいらないにしても、そうやって覚えておいたものは必ずいつか自分の蓄え蓄えになるような気がした。だから今も心が動いたことを必ずメモを取っておく習慣が身についている。
  もともと美術品が好きなので、より深く味わうためには時代背景や作者の気持ちも詳しく知りたくなる。それでいつのまにか歴史の本まで読むようになった。中近東・中国・朝鮮半島・日本と、少しずつ独特の変化と発達を重ねてきた文化の流れについても勉強した。また家を作る時は建築様式や茶道、美術品の知識が不可欠であるし、こういうことに造詣の深いお得意さんと出会った時は、必ずそれらの教養が必要になってくる。私の若かったころは職人だの大工だのというとやや軽く見られる風潮があったから、よけい力を入れて学ぼうとしたのかもしれない。
 美術品が好きだと書いたが、それは華美なものを求める気持ちとはまったく違う。名もない人々が丹精こめて造り上げたものに強く惹かれるのである。木目が浮き出してしまっている長櫃、欄間に精巧に彫り込まれた亀の表情、彩色もなかば剥げ落ちた古代の人物像のおったりとした表情。そういうものに私は限りない美を感じ、その奥に、木や石といった素材と人間の手の技とが一つに融け合った高い境地を見る思いがする。古い建築物にも同じように丹念に仕上げられた建築物を見る時、いったいどんな人間によって造られたのだろうかと想像を刺激される。そういう気持ちを私はオーストリアに行った時に体験した。一番上の娘の長男はドイツ人の医師と結婚し、今フランクフルトに住んでいる。その家に生まれた曾孫の洗礼式に呼んでもらった時、帰りにウィーンを見物したのである。ウィーンの森の大聖堂を見て歩くうちに感動が押さえきれなくなって、宿に戻ってからこんなものを書いてみた。

   ウヰーンの古寺にて

 鐘堂は空高く夕日を集め
 由緒ありげな大樹
 広き中庭に鬱蒼とあり

 大聖堂は長き廊を廻らし
 古きステンドグラス
 夕日に映えて美しく
 はた
 礼拝堂は暗く
 灯一つ光を放ちて人影もなし

 修道僧は何処に在すや
 出で来て我に往時を語りたまえ

 まことにお恥ずかしいものをお見せしたが、その大聖堂の中にいると、昔からそこで祈りを捧げてきた人々の気配のようなものが全身に感じられて、こういうものを書かずにいられなかったのである。私が古い建築物や美術品を好むのは、長い歳月を経ていても、そこに生きていた人、それを作った人の存在が伝わってくるからではないかと思う。古いもののよさはそこにあるのではないだろうか。
 また昭和五十九年、高徳院の客殿が落成した記念に、中国の五大石窟寺院を訪ねる旅が企画された。宝仙短期大学副学長の紀野一義先生をお迎えし、高徳院の御住職が団長を務められた。若奥様や私も御一緒して、総勢十八人の旅となった。雲崗、炳霊、敦煌、麦積山、龍門の各石窟寺院は壮大な佇まいもさることながら、そこに彫られた一つ一つの仏のお顔がすばらしかった。かすかな微笑を湛えた表情は、古代の人々の遠い夢を辿っているようで、今でもありありと脳裏に蘇ってくる。
 会社は長谷寺や高徳院をはじめとして多くの寺院を造らせていただいた。また公共の建物も数多く手掛けた。こういう建築物は大勢の方に利用してもらえるし、何百年とはいわないまでも末永く残って、後の世代の人が見てくれるものである。それを思うと仕事冥利に尽きる、私はつくづくいい職業を与えられたと思うのである。

「晨風清興(しんぷうせいこう)」
1997年5月20日第一刷発行 
著者 石渡弘雄
発行所 リーブ企画株式会社