妻のこと

 妻は平成三年四月十二日、ちょうど桜の咲いている頃に亡くなった。パーキンソン病でかなり長く患っていたが、この病気は筋肉の運動障害を起こして、うまく話せなかったり歩行が困難になったりする。働き者の家内にはそれがじれったく、さぞつらかったことだろう。
 介護の人を頼んだり、家族が交替で面倒を見たりしていたが、十一日の晩は私が一緒に休んでいた。夜中にふと目を覚ますと、学子が台所に出る戸口にしゃがみ込んでいる。薬を飲もうとしていたらしい。これはいけないとベッドに寝かせたが、うとうとしていた私が明け方に起きてみるとすでに亡くなっていた。眠るように静かな最期だった。

 話はさかのぼってしまうが、戦後の少し前に母が亡くなった時、私は仕事で郡山にいた。しばらく前から患っていたから覚悟もできていたのだろうが、遠く離れていても「あっ、今おばあちゃんが亡くなった」となんとなくわかったのである。するとまもなく電報が届いた。
 これは言わずもがなのことかもしれないが、この母は私と血がつながっておらず、三歳の時に父の再婚した継母だった。しかし本当の母親以上に温かく愛情をもって育ててもらったと今も思っている。
 ところが私の結婚後、母は古風な考え方で今どきの嫁はなっていないと思い込み、家内を実によく叱る。だから学子はずいぶん泣かされた。私は家内をいつも宥めていたが、ある時もう駄目だと思ったので母と話し合うことにした。
 「そんなに学子がいけないと思うなら、御自分の信頼できる人にわけをお話なさい。私ども夫婦も立ち会いましょう。そして四人でよく話し合いましょう」
 こう私が言うと母は黙っていたが、誰のところにも結局行かなかった。ここは母の偉い点だと思うが、それからは態度をすっかり改めてくれたのである。二人の中は穏やかになり、戦争中に私が家を空けていた頃には、まるで私が婿だと言われるほどに仲睦まじくなった。二人がこうなってくれたことは私の人生にとって大切なことだったと思う。
 学子も私も嫁・姑の問題で苦労したが、お互いそれで人間的に成長できたともいえるだろう。料理の得意だった家内の作ったうどんの味を今でも思い出すことがある。しかし家事に追われる大変な思いもずいぶんさせてしまった。
 学子がかなり悪くなってから入院していた東海大学病院へは、家族皆でよく見舞いに行った。また症状がそれほど進む前はおんめさまのデイケアホームに毎日一緒に通った。家内が自宅で足を骨折するまで、一年間ほど続いただろうか。朝会社に顔を出してから、十時に家内を連れて行く。リハビリテーションに付き添い、十一時になると一緒に風呂に入ってから昼食をとる。少し休んだ後またリハビリテーションがあった。こうして書いてくるとさも大変なことのようだが、子供たちの手助けがあったし、私には家内とそうした時間を過ごせることが楽しかった。
 家内と二人で仲人務めたことも忘れられない。十組くらいにのぼる中で、昭和五十九年に大成自動車の鈴木さんの御子息の式に参列した時のことが強く印象に残っている。家内の体調の関係で、それが仲人を務めた仕舞となった。
 二十四、五年前のことだが、ローマで開かれたロータリークラブの国際大会に家内を誘って行った。学子は最初気が進まないと言っていたけれども、大会の前ギリシャ、ローマとヨーロッパ各地を回るうちに、「出かけてきて本当によかった」と何度も口にしていた。よほど楽しかったのだろう、二年後にはモントリオールの国際大会にも同行した。こうした旅も今となっては家内との貴重な思い出になっている。何しろ箱根へ日帰りで行ったのが新婚旅行だった私たちである。
 家内と私は互いに育った家庭環境がよく似ていた。家内も十歳の時に実母に死なれて、私と同じく継母に育てられている。たぶん三人の弟たちの母親がわりもしていたことだろう。また義父は同じ建築業だったので、家内は私の仕事に対して非常に理解があったし、私の方も家内の実家に何かがある時は進んで手伝うようにしてきたつもりである。はじめ家内に私との結婚をつよく勧めたのは義父だったらしい。そして後に
 「どうだ、弘雄君と結婚してよかっただろう?」
 と学子に言ったという。けれど私の方こそ幸せだったのだと思っている。
 家内は私にはないものを持っていた。献身的で非常に濃やかな愛情があったから、与えられたものは大きいが、何よりも五人の子供たちを残してくれたことが私には一番ありがたかった。三人の娘たちは皆、大変に頼り甲斐のある人物に嫁いで円満な家庭を築いている。結婚の時、豊島屋の社長。久保田雅彦氏に仲人の労をとっていただいた長男の好行が会社を継ぎ、地域の方々のご支援を受けながら私の跡を守ってくれている。また次男の信行は日本とアメリカの二つの公認会計士資格を取り、東京駅の八重洲口近くに事務所を持って自営するかたわら会社の監査役も務めてくれている。子宝という言葉があるが、こういう幸せな家庭に恵まれたのも学子のお陰だと思うのだ。

「晨風清興(しんぷうせいこう)」
1997年5月20日第一刷発行 
著者 石渡弘雄
発行所 リーブ企画株式会社