帰鳥
昨年鎌倉市は景観条例をつくり、今年その具体化の作業に入った。士の景観課の諮問機関として「デザイン委員会」が発足し、商工会議所からは私が出ることになり、他に大船工業クラブの副会長、市議会議員の方二名、関東学院大学の先生など全部で九名が集まって三回ほど会合を開いた。町づくりの全般にわたって意見を交換している。建築業に携わってきた自分の経験を少しでも生かして、愛する鎌倉のお役に立てたら非常に嬉しい。
ロータリークラブに入会した時も同じことを思っていた。こういうことをあまり吹聴すると嫌味に聞こえるかもしれないが、私の頭には「職による奉仕」という考え方がいつもどこかにこびりついている。それはロータリークラブの中心となる考え方である。自分の職を通じて社会に奉仕し、得たものは還元していくという精神は非常に大事なことであり、私は常に自己チェックの指針としてきた。一つの会社、職業に専念していると、つい周囲のことを見失いやすい。ロータリークラブの活動をしている時、「お前は今、何をしているのか」といつも問いかけられるようだった。
私の職業を振り返って見ると、人の家を建てるというのは人の命を預かることともいえる。いい加減な建て方をしてら命に関わる。だから儲けだけですべてを割り切ってやっていくわけには行かないと思うのだ。企業が儲けを度外視するわけにはもちろんいかないが、誠実さを根本に据えるということが肝心なことではないだろうか。自分の利益ばかりを考えるのではなく、人も自分も活きる道を探る、そういう生き方を私はしたかった。
清興建設の歩みをもっと辿るはずだったのに、いろいろ思い出そうとしたら子供の頃の鎌倉のこと、今までに出会った多くの方々のことが思いがけず鮮やかに浮かんできて、そんなことばかりを書いてしまったようだ。他に書きたかったこともまだまだあるが、それは別の機会に譲ることにしたい。こうして見てくると私は人とも関わりがずいぶん好きな方で、また本当に大勢のいい方に巡り合えたのだなと今さらのように思う。
陶淵明の『帰鳥』の一節から清興建設という社名を付けたと書いたが、この詩の中にはこんな部分もある。
翼翼歸鳥 翼翼(よくよく)たる帰鳥は
相林徘徊 林を相(み)て徘徊す
豈思天道 豈(あ)に天路を思わんや
欣及舊棲 旧(もと)の棲(す)に及(つ)きしを欣ぶ
雖無昔侶 昔の侶(とも)は無しと雖(いえど)も
衆聲毎諧 衆の声は毎(つね)に諧(かの)う
日夕氣清 日の夕べ 気は清し
悠然其懐 悠然たり 其の懐(おも)い
(いきいきと戻った鳥はもとの林を見つけ、上を行きつ戻りつする。どうして天の果ての路などに思いを馳せよう。古巣に戻れたことが嬉しいのだ。昔の仲間はいないが、ここの仲間の声はいつも穏やかに調和している。夕方の大気は清々しく澄み、なんと心の寛ぐことか)
この箇所が私の気持ちをすべて語り尽くしてくれているようだ。
長谷に生まれ、そして大町に会社を建て、鎌倉の自然と人に囲まれて私は生きてきた。
家内の命日が近付くと市内のあちこちは満開の桜に彩られている。この地で長年親しんできた人の中にはすでに亡くなった方もあるけれども、現在も私のまわりには温かいお付き合いをして下さる方が大勢いる。家族もその一つであるし、友人、多くのお得意さん方に私は恵まれた。義弟の喜多川澴とは長年苦楽を共にした間柄である。お互いずいぶん年をとったものだし、毎日顔を合わせるのが楽しみになっている。また清興建設の社員が骨身を惜しまず働いてくれている姿には頭の下がる思いである。こうしてみるとなんと多くの一期一会ともいうべき方々に支えられて私は生きてきたことか。この場でそうした方々に深い感謝の気持ちを捧げ心からの御礼を述べて、この辺で筆を擱くことにしたい。
「晨風清興(しんぷうせいこう)」
1997年5月20日第一刷発行
著者 石渡弘雄
発行所 リーブ企画株式会社