海 ー 光と影 ー
昔の由比ヶ浜には海亀が産卵に上がってきたと言ったら信じてもらえるだろうか。波打ち際や稲瀬川の河口近くには色々な生き物がいっぱいいて、子供たちの格好の遊び場だった。いつもそういう場所で友達と一緒にいたり、あるいは一人遊びをしたりしているのだが、やや砂の盛り上がった所を少し掘ってみると、夜のうちに産みつけられた海亀の大きな卵が出てくることもある。四、五個の白くてまん丸な卵はじっとりと湿っていた。産卵する亀が砂浜に上がってくる時には足の跡がつく。それで帰っていく段になると、海亀は足で自分の足跡を消しながら海に入っていく。そんな習性があるという話を私は誰から聞いたのだったか。重い甲羅をひきずって慎重に海に帰る親亀のことを想像すると、白い卵がとても大事なもののように感じられた。
海亀が網に掛かると、漁師の人はお酒を振る舞ってやるのが習いだった。なぜお酒を飲ませなくてはならないのか。たぶん、亀を非常に神聖な生き物とする考えがあって、漁が豊かになるよう祈りをこめて亀をもてなすのに違いない。大酒飲みのことを「亀」と呼んだりするが、本当に亀というのは驚くほどたくさん飲む。一升くらいの酒はすぐに飲んでしまう。さんざん飲ませたら、後は丁重に海に返す。生き物を生活の糧にしている人々は、また、生き物に対してなんと敬意を払うものなのだろうか。
しかし浜の思い出は心暖まるものばかりではなかった。
これもやはり海岸で遊んでいる時のことだ。「土左衛門だぞ」という声が遠くで上がる。それを聞きつけた人々は何か慌てたような物々しい雰囲気で駆けつけてくる。子供たちも直ぐに集まって大人の人垣の間から覗き込む。すでに筵か何かが遺体に被せてあって、警察官が調べている。最初に見付けて知らせたらしい人がしゃべっている他は、みんな黙ってただずっと様子を見守っている。
若い娘が打ち上げられた時があった。筵から出ている手に指輪が嵌まっていたのを忘れることができない。華やかな柄の金紗の着物を着ていた。若い娘にいぅったいどういう事情があったのか知る由もないが、覚悟をして死出の旅のために身なりを整え、余所行きの着物を着たのだろうか。
また中年の女性の亡骸を見たことも忘れられない。胸のところでおぶい紐が十字に交差して、赤ん坊を背中におぶったまま、亡くなっているのだった。生活に行き詰まったらどうにも暮らしていかれない時代だった。女の人とその赤ん坊が横たわった光景が子供だった私の目にはあまりにも強烈な衝撃で、人間にはこんな風に死んでしまわなければならない事があるという事実が心に焼き付けられた。砂浜に横たわる亡骸を何回も見たが、今でもそれらの光景を思い出すことができる。
今自殺する人は海に入るような悠長なことはするまい。もっと別のやり方をするようだが、当時は投身というのが割りと多かった。埋め立てになる前の昔の由比ヶ浜は海岸ぎわの道路もまだできていなかった。今の市営プールの辺りか、その突端のところから海にはいっていったのかもしれない。ところが、そこからぐるっと回って浜に返る潮の満ちがあるらしく、時間がたつと戻ってきて浜に打ち上げられてしまったのだろう。
近ごろの海岸には派手なファッションの若者が溢れ、明るい青春の場というイメージが強くて、身投げという言葉もそぐわないように見える。しかし海とはそういうこともある場なのだ。小学校一年生の時、私は大波を避けそこねて溺れそうになったことがある。一瞬で息が詰まり、上も下もわからなくなるほど波に揉みくちゃにされながら、「もうダメだ」と思った時、死という言葉が頭を掠めた。うす暗い視界の中に死が満ち満ちているようだった。海は生き物が子孫を残す生命豊かな場所でもあるし、また生命のあるものが帰っていく死の世界でもある。由比ヶ浜は私に海の明暗両面を教えた場所だった。
「晨風清興(しんぷうせいこう)」
1997年5月20日第一刷発行
著者 石渡弘雄
発行所 リーブ企画株式会社