今回ホームページをリニューアルするにあたり、色々な資料を読み返していくうちに
先代社長石渡弘雄が出版した本があり、当社を知って頂くと同時に、近代における鎌倉の市井の様子が伺えることに気づきました。そこで連載のようにコラムに載せることにしましたので、お楽しみ頂けると幸いです。
はじめに
先日、古くからの友人たちと鎌倉の思い出話に花を咲かせているうちに、由比ヶ浜に昔あった「海濱ホテル」の名が何度も出てきた。療養所を改造したという広々としたホテルは、海岸でひときわ目立つ立派な洋館だった。そのため私たちが昔のことを話す時は、「海濱ホテルの先に何々があった」というように、場所を相手に説明するためのよい目印になるのだ。小泉八雲やドイツの細菌学者のコッホもここに泊まったと聞くし、また政治家や文化人の社交場になっていたという。そういえば夏目漱石の『こころ』の中にも、このホテルが出てくることをふと思い出した。そこには泊まり客の外国人の水着姿や海水浴客の賑わいが描かれていて、大正時代の由比ヶ浜の様子がよくわかる。
「海の銀座」といわれた夏の浜辺の雑踏が今は江ノ島方面に移ってしまい、海水浴場としての由比ヶ浜はさびれてしまった。時代がすっかり変わってしまったのだとつくづく感じることがある。「当時はどうだったか」と考えていると、忘れられない出来事が鮮やかに思い出されてきて、それをぜひまとまった形で残しておきたいという思いがしだいに強くなってきた。
そういえば『こころ』の中にはこんな一節もあった。
「記憶して下さい。私は斯(こ)んな風にして生きて来たのです」
もとより私は長年建築業を営んできた一庶民だから、「こんなふうに生きてきた」といい立てるほどの経歴を持っているわけではない。しかし、八十六年の生涯と、その間の激しい社会の変動を思うと、「よくぞ生き抜いてきたものだ」という深い感慨にとらわれるのも確かである。
私が生まれたのは明治四十四年六月二十日のことである。父は鎌倉の長谷で長年仕事をしていた大工の棟梁だった。私の生まれ年は辛亥(かのとゐ)に当たり、中国の陰陽五行説では天の命が改まる、つまり大きな変革の起きる天下動乱の年と言われているそうだ。歴史を見ると、確かに大陸では孫文の辛亥革命が起きて中国の生まれ変わった年であるし、日本では幸徳秋水の大逆事件という大変な事が起きている。また次の四十五年には明治天皇が崩御されて大正と改元されている。そうした時代の節目になるような大きな変わり目の時期に、私はこの世に生まれてきたわけだ。そしてあの関東大震災を経験し、昭和の大恐慌、戦中・戦後の混乱期を潜り抜けてきた。まさに時代の混乱につき動かされて生きてきたような一生だった。
戦争をはさんだ一時期に郡山で過ごしたほかは、私はほとんど鎌倉だけで暮らしてきた。今でこそ四季を問わず大勢の観光客で賑わい、旅行雑誌や女性誌でよく取り上げられている鎌倉だが、私の子どもの頃の暮らしはまことにのんびりしたものだった。別荘やお邸、神社仏閣が多いというほかは、とりたてて変わった所のない落ち着いた生活だった。
なかでも由比ヶ浜の昔の風景は私の胸に深く染みこんでいる。由比ヶ浜も鎌倉も大きく変わったが、古き良き時代の雰囲気もまだ町のあちこちに残っている。何が変わって、何が変わっていないか。揺れ動いてきた時代の中で、私自身がどのように夢中になって生きてきたかを、ここで一度じっくりと振り返ってみたい。故郷の鎌倉で私の見たこと、聞いたこと、頭に刻み込まれたある日の情景、そして清興建設という会社を精一杯に育てあげてきた職業人としての体験などを、思い出すまま、心のままに綴っておこうと思う。
そういうわけで、この本は鎌倉関係の多くの書物からは漏れているような、私個人のほんの些細な記憶を寄せ集めたものである。遠い思い出ばかりだから、ひょっとしたらあちこちに記憶違いがあるかもしれないが、そこはご容赦願いたい。当時を知っている方に「私の見たのはこんな風だった」と昔話の種にでもしてもらえたらこんな嬉しい事はないだろう。また、これを手にした若い人、孫や曾孫たちが「おじいさんはそんな風に生きてきたのか」と、私の歩んできた時代に思いを馳せてくれたら、これもまたこの上ない幸せである。
平成九年四月吉日
「晨風清興(しんぷうせいこう)」
1997年5月20日第一刷発行
著者 石渡弘雄
発行所 リーブ企画株式会社