太平洋戦争(一)~経済統制の下で~

 昭和十年代に私は家族をあいついで失った。十三年十二月一日に父が六十三歳で亡くなった。そのしばらく前から顔がむくんだりして、心臓が悪化しているのがわかっていた。思うように働けない父は釣りや菊づくりに凝っていて、ラジオの相撲放送や浪花節を聴くのを楽しみにしていた。私は二十七歳だったが、父が亡くなるかもしれないという気持ちはいつもあった。だから営業や職人を指図することは私がすでに全部やっていたが、しかし精神的な支えを失ったという思いは強かった。そして富美子の死である。また昭和十九年一月九日に母を失った。七十歳だった。晩年に初孫を亡くしたことは母にとってさぞつらいことだったろう。

 この時期は日本が戦争へとなだれるように進んで行った最も悪い時代であった。私が落合医院から戻った翌年には満州事変が勃発し、結婚の年には二・二六事件が起きている。これから日本はどうなっていくのだろうという漠然とした不安感がいつも心の中にあった。
 昭和十三、四年頃からは物資の欠乏がひどくなっていった。石油が軍需用にまわされて徴用による人手不足、材木不足で値段が高騰し、容易なことでは手に入らなくなった。マッチなどもリンが軍事用に持っていかれてしまうため、民間には回ってこない。綿糸が配給になって、衣料品もなかなか買えないし、もちろん米の統制もひどくなる一方だった。日用品が手に入りにくい状態が慢性的になっていた。
 こうして戦時という名目で統制がすすんだことで、一番被害を被ったのは我々中小の商工業者だった。材料の配給統制規則ができて、ただでさえ不足している物資を軍需工業、大企業が優先的に配給を受けて全部持ってきてしまうから、我々のところには全く物が入ってこない。零細な自営業者は釘一本、材木一本手に入れるにも、闇しか道が残されていなかった。資源の節約、軍需優先で、中小の企業はその下請けになるしかないように追い詰められていた。転業・廃業がむしろ奨励されていた節がある。企業整備令が出たのは昭和十七年のことだというが、その前にもう普通の仕事をやっていくために必要な釘などは全く手に入らなくなっていた。それは大工にとっては死活問題である。
 私も釘の調達には苦労していた。家内の実家がやはり建築業を営んでいて会社規模もかなり大きかった。義父はちょうどそのころ海軍関係の仕事を請け負っていた。したがって建築材料は最優先で配給されるから、釘などには困っていない。そこで「十樽ほどなんとかならないか」と頼み込んで、融通してもらったことがある。
 ある日、非常に顔付きの鋭い男が二人で家にやってきた。そしていきなり
「お前のところに釘があるだろう」
という。私が何と答えようかと考える間もなく、ずかずかと資材置き場の方へ行って釘を持ってくる。「いったいどこからどうしてわかったのだろう。これはまずいことになった」と思ううちに、二人は私を鎌倉警察に連れて行った。取り調べの部屋で二人は
 「どっからどういうふうに買ってきた?」
 「調べればわかることだぞ」
 と脅すように追求してくる。しかししゃべったら義父に迷惑がかかるかもしれない。私は何も言わずひたすら黙っていた。半日くらい留置場に置かれていただろうか。ところが急に帰っていいと言い渡されて釈放された。後から考えると、釘には海軍のマークが打ってあったのだ。普通の警察は軍のことには口を出せない。だからうっかり捜査の手を出して、警察の立場として危ないことになってはいけない。手を引こうと判断したのではないだろうか。そして釘は幸い没収されなかった。
 半日留置場に置かれただけで私の体は蚤と虱だらけになってしまった。もう痒くて堪らない。家でも心配して待っていた家内に成り行きを話してやる暇もなく、まず外で大鍋に湯を沸かしてもらい、素っ裸になって服を煮た。
 次の日、昨日の刑事の一人がまたやって来た。今度はいったいなんだと身構えると
 「あんたのところの釘、あれ少し分けてくれないか」
 と言う。これには拍子抜けしてしまった。腹も立ったが、うちにはそんなもの無いと白を切ることができないから、少し分けてやった。
 こんな矛盾した話はないと今でもよく思う。民間の零細な商工業者は遊んでいる。熟練した職人に仕事がない。仕事はあるのだが、材料不足で仕事にならない。食料にしても、米が一日一合の配給ではとても生きていけるはずがないのに、それ以外の手段で手に入れたら闇ということになって、法律に触れてしまうのだ。守れるはずのない法律がまかり通っていた時代だった。皮肉なことに軍需産業で儲けた人が家を建てようとしたら、闇の建築材料でなければ建てられない。仕方なしに金をつぎ込むことになって、よけいインフレがひどくなる。こんな統制を敷くような経済は駄目なのだとつくづく感じた。

「晨風清興(しんぷうせいこう)」
1997年5月20日第一刷発行 
著者 石渡弘雄
発行所 リーブ企画株式会社